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BUBUがお届けする連載企画 “ナレッジ” | Showcase.47 「ミツオカ ZERO-1 × 中村 孝仁」

BUBUがお届けする連載企画 “ナレッジ” | Showcase.47 「ミツオカ ZERO-1 × 中村 孝仁」

第47回目はモータージャーナリストの「中村孝仁」さんにご登場いただきました。

文/プロスタッフ写真/内藤 敬仁

光岡自動車が日本で10番目の自動車メーカーとして認可されたのは1996年

今から30年ほど前の1990年代。この時代に日本で乗用車を作るメーカーがいくつあったかご存じだろうか?トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、スバル(当時は富士重工)、三菱、スズキ、そしてダイハツ。ここまではきっと誰もが思い浮かぶ。だが当時はこれにもう一ついすゞがまだ乗用車を作っていたから9メーカーである。しかし、1996年。10番目の自動車メーカーが生まれた。それが光岡自動車である。

ゼロワンを開発する際に参考車両となったのはバーキンセブン

この光岡自動車が正式な自動車メーカーとして認可されるために作ったのが、ゼロワンというモデルであった。その誕生は実はそれよりも2年前の1994年に遡る。1994年に誕生したゼロワンは、スペースフレームを独自開発した本格的なモデル。開発にあたって参考にしたのはロータス・スーパーセブンを下敷きに作り出された南アフリカ製のバーキンセブンであった。何故参考車両がバーキンになったのかは尋ねなかったのだが、同じロータス・スーパーセブンのクローンともいえるケーターハムのネガ要素を潰して登場したといわれているのがバーキンセブンであったから、選択は間違っていなかったように思える。特にケーターハムではリアがライブアクスルとされているのに対し、バーキンはダブルウィッシュボーンであったことが、光岡ゼロワンが4輪ダブルウィッシュボーンになった大きな原動力となっていると思われた。

ゼロワンの最初の99台は「組み立て車」として販売された

ところで、このゼロワンが誕生した当初に何故型式認定されず、2年後まで待たねばならなかったかという話である。実は94年の発表当初はとある理由から型式認定が降りず、それならということで型式を「組み立て」として認証してもらったという。このため当時の運輸省からは販売は99台までというお達しをもらってしまった。晴れて、96年には懸案だった理由が解消され、正式な型式を得て車検証の車名欄に「ミツオカ」の文字が踊るようになったのである。というわけで「組み立て」という型式を持った初期の99台にはシリアルナンバーが入っているという。

車両イメージ

クラシックタイプFは「ニアセブン」からの脱却を図った意欲作

さて、今回試乗したゼロワンはクラシックタイプF と呼ばれるモデル。1996年の11月に発売されたもので、デビュー当初のゼロワンがあまりにもロータス・スーパーセブンに酷似して、亜流スーパーセブン的に揶揄されたことに対する光岡自動車の一つの答えであったように思われる。これは結果としては正解で、オリジナリティーの高いデザインを作り上げた。そして何よりこの手のモデルはスパルタンであることが当たり前のように思われているが、初めてオートマチックトランスミッションを搭載したモデルを作ったり、エアコンをオプション設定したり(試乗車にはついていた)、独創性の高いインパネデザインを構築したりと、単なるスパルタンからの脱却にも成功していると思う。

車両イメージ

異様に車高が低く周囲の景色が普通と違うが、意外なほど乗りやすい

試乗したのは97年式でマニュアルトランスミッションを備えたモデルであったが、予想外と言っては失礼だが本当に乗りやすく運転に難儀することはなかった。とりわけ、前オーナーが装備したであろうウィンドディフレクターの効果が絶大で、ほとんど室内に風が巻き込むことがなかった。もちろん真剣に飛ばして高速でも走ればこの限りではないだろうが、ごく普通のマニュアル車としてドライブを楽しむことができる。エンジンはマツダロードスター用の1.8リッター130ps。マフラーの取り回しが異なるからか、なかなかエクゾーストサウンドもこの種のモデルに相応しい音とされている。

そのうえで、異様とも思える車高の低さに伴う周囲の景色が実に新鮮で、普通の自動車とは全く異なるドライブ感覚を楽しむことができる。ハンドリングがナーバスであることもない。この辺りはかつて乗ったことのあるバーキンやケーターハムとは異なるところで、例えば峠に持ち出してワインディングを攻めたいという本格派には敢えてお勧めはしない。その分街中から軽いワインディングをオープンエアで楽しみたいという向きにはうってつけ。乗り心地もなかなか快適で、がちがちに固められた脚ではないから、轍にステアリングをとられるワンダリングもほとんどない。

なにより気に入ったのは無機質に並べられたメーターパネルがそこにはなく、タコメーターとスピードメーターをダッシュセンターに縦置きし、ドライバーの前には燃料計、水温計、それに油圧系を並べ、いずれもがどこかからの流用ものではなく文字盤をきっちりとデザインしているところもこのクラシックタイプFの魅力ではないかと思う。

まあはっきり言って、この手のクルマをこよなく愛する(だろう)ユーザーから言わせるときっと軟弱者と言われそうだが、この手のクルマだって楽しみ方は人それぞれだと思うから、このクラシックタイプFの成り立ちは大いに称賛されてしかるべきものであると感じる。

クラシックタイプFは「ニアセブン」からの脱却を図った意欲作

2000年に側面衝突試験に適合しないという判断から生産続行を断念したが、その時点で345台を販売していたそうだから、世に出回るゼロワンはその程度の数でしかない。だから、おいそれと欲しいといってもそう簡単に手に入るものではないのだが、光岡自動車のBUBU中古車事業部のショールームに依頼しておくと、入庫した時に知らせてくれるそうである。近年光岡自動車の作るモデルはどれも極めて人気が高く、例えばロックスターなどは今となっては新車よりはるかに高い価格で取引されているし、SUVのバディも納車までに数年待ちといわれるほど。いずれの場合にもBUBUショールームに足を運んで希望を伝えると良いことがあるかもしれない。

車両イメージ

【プロフィール】

中村孝仁(ナカムラタカヒト)/モータージャーナリスト

1952年8月12日東京生まれ。

幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。
大学は東海大学動力機械工学科卒業。
在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに試乗。その後渡独。ジャーナリスト活動は1977年にフランクフルトモーターショー取材をしたのが始まり、すでに45年の活動歴を持つ。現在AJAJメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆。日本で唯一新車のランボルギーニ・ミウラやディーノ246GTなど60年代のスーパーカーに試乗した経験を持つジャーナリスト。最近はテレビ東京の番組『開運なんでも鑑定団』で鑑定士としても活躍中。

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BUBU MITSUOKAがお届けするスペシャルコンテンツです。
自動車に限らず、幅広い分野からジャーナリストや著名人をお招きして自動車を中心に様々な角度から
切り込んでいただく連載企画です。

今後も多数展開いたしますので、お楽しみに!毎月配信。

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